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2025/06/20 14:26 |
バンコックの雑踏にて
タイ、バンコックの町は暑い。ドンムアン空港に飛行機で降り立てば、眼鏡のレンズは曇り、熱帯の世界に突入する。空港からハイヤーでホテルに向かう途中、運転手が高速道路を使っていいかと聞くので、OKといえば、高速道路を飛ばすこと、飛ばすこと。途中、やけに大きくHINOと書いたトラックを見かけるが、日野自動車をそんなに強調したいのか。あるいは偽物かもしれない。高速道路なのに、ウインカーも出さずに車線変更してくる車、危険きわまりない。

img_373168_2602765_0.jpgバンコックの道路は年がら年中、工事中である。そのため、ホコリがいたるところに舞っている。また、バンコック名物は道路の渋滞、これはどの国よりも激しいかもしれん。高速から下りるころには、渋滞が始まってしまい、なかなか前に進まず。ふと、窓から景色をみれば、廃屋と思えた家から何人か出てきたのだが、傾いた家に何家族かで住んでいる様子であった。
しばらく走って、車が信号で止まると、いきなり道路を斜め横断してきた小さな男の子が車の窓を拭き始め、チップをよこせという(むろん車道を歩行者が渡って良い筈がない)。ダメダメと手を振ると、今度は別のがやってきた。見ると手に花輪というか、ジャスミンの花を数珠繋ぎしたもの(プアンマーライというらしい)を持ってきた。私の友人がいくらかと聞いたが、20バーツくらいだったか。友人があれこれ言っている間に、信号が変わり、友人はその花輪をてにすることができず、悔しがっていた。

ホテルは日本系のホテルであったため、日本人スタッフもいるのだが、大多数は現地の人である。客室はやけに広く、20畳ほどもあったろうか。高級ホテルならウエルカムフラワーなどあったのだろうが、一般のホテルではそのようなものはなく、簡単な応接セットがあったのと、もちろんベッドがあり、明らかに人工大理石を貼り付けた浴室兼トイレがあった。窓から見るバンコック市街は、町の中心ではなく、ちょっと外れの風景、特にビルがまばらに建っているのだが、そのビルの間に見える野原に人が住んでいる様子でバラックがたち、ガスボンベが置いてある。その野原の横には運河があり、小さな船が行きかっている。まるで終戦直後の日本のような場所に、ところどころ近代的なビルが建っているような、新旧混在というか、変な光景であった。

そのホテルでは、日本から同行した友人とホテル内の喫茶コーナーへ行った。友人はケーキセットを頼んだのだが、ケーキは何があるか聞いていた。現地人のボーイは「チョコラ、ショコラ、・・・」とたどたどしい英語で説明していたのだが、私はボーイが可哀そうになり、「ケーキなんか何でも良いじゃないか」と口をはさんだ。

しばらくホテルで休んでいると、現地に住んでいる友人がボルボに乗ってホテルに来た。一緒にホテル内の日本料理屋へ行き、酒を飲んだ。友人は現地人の運転手がいるので、飲んで帰っても良いのである。

翌日、その現地の友人と待ち合わせ、バンコックの街へ。歩いて観光ではなく、友人のボルボ車を現地人で英語のできる運転手さんが運転して案内してくれるという。王宮、エメラルド寺院、黄金の寺などに行く。途中、ホームセンターのような場所に寄った。そこで、例の友人が気にしていたジャスミンの花輪にまた出くわした。友人は、いったい何をするためのものだろうかと、まだあれこれ言っていた。そのホームセンターの駐車場に車をとめ、現地人の運転手さんは休んでいたのに、われわれが乗っているときには冷房をつけていたのだが、みると冷房を切った状態で、窓をあけて休んでいる。現地の人にとっては、30度くらいでも涼しく感じ、それ以下の気温では寒いのだそうだ。
昼食は、バンコックから暫く車でいったレストランでトムヤンクンなどを食べた。とにかく、日本で食べるタイ料理の数倍からい。唐辛子は赤いのではなく、青いのが曲者。もし、これを食べてからくて水をのんだら、火に油を注いだように、口のなかに火が燃え盛った状態になる。

また、その日の夕食は、中華料理屋でフカヒレやいろいろご馳走を食べた。しかし、あらゆる料理に香草(パクチー)が乗っている。フカヒレなんか何も乗せない方がいいと思うのだが、ちょっと邪魔であったかもしれぬ。しかし、高級な店であったため、いるお客は白人と日本人だけ、現地の人は高くて、それこそ一月分の収入を一食で使ってしまうことになるので、なかなか来られないそうだ。

翌日も、友人とバンコックへ。ちょうどボールペンのインキが出なくなったので、デパートでボールペンを買うことにした。伊勢丹があり、そこで買い物。店の前でパフォーマンスをしていて、若い女性が歌と踊りでなにかの宣伝をしていた。タイ語はまったく分からないので、何のはなしか知らないが、ときおり「ターイ」というので、タイとどこかの試合の宣伝のような。デパートでは売り子の女性は、みな現地人である。文房具売り場で、ボールペンを捜していると言い、パーカーの安いものを買うことにした。それで書いてみると、青いインキだったので、黒のが欲しいというと、その店員さん、何本か全く違うタイプのボールペンを出してきて、インキを確認すると、その別のボールペンから芯を取り出し、パーカーのボールペンのものと交換したのであった。「えー、嘘だろ」と思いつつ、黒いインキのパーカーボールペン(もはや別物)を買ったのである。

その日の夜は、チャオプラヤ川沿いの高級ホテルに飲みに行った。ホテルのバーのようなところで、いろいろカクテルを注文する。バーの支配人のような年配の男性は、テキパキと仕事をこなしていた。注文を受けると、指をパチンと鳴らして、厨房へ伝え、身のこなしもさすがプロという感じであった。チャオプラヤ川の夜景は綺麗であった。しかし、昼間みると隅田川と対して変わらない、あまりきれいな川ではないのだそうだ。
最初気付かなかったが、そのバーの年配の男性は、少し足を引きずっていた。そして、それを懸命にかくそうとしていた。

いばらく飲んでいると、運転手の男性が、ボルボ車が故障したと言ってきた。何事かと聞くと、ウインカーを倒すと左右に点滅するパネルで、常時上下の矢が点滅するという。車に乗りこんでみると、たしかに上下の矢が点滅する。上下に矢が出るというのも、初めてみたが、車自体はちゃんと走るのであった。
その車で送ってもらい、宿泊先のホテルへ。窓から見ると、ディスコかなにかのビルの派手な電飾が、点滅していた。

翌日、朝食をとると、日本へ帰るため、また空港までタクシーで向かう。朝は道路もすいていて、やけに早く空港についた。みやげ物などを見ながら、時間をつぶし、90%以上が中国人の乗客という中国の飛行機で香港まで行き、香港から日本へ帰った。
二泊三日の強行軍であったが、バンコックの素顔を垣間見た気がした。自分としては、足の悪いのを隠しながら仕事をしていた、バーの支配人のことがなぜか忘れられない。

(これは2006年以前にバンコックを訪問したときの記録であり、現在ドンムアン空港は国際線には使用されていません)
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2007/10/08 13:02 | Comments(0) | TrackBack() | 国際特集

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