戦後東京に住んでいた私は、終戦のあくる年から古びた灰色の上着を着て、電車で勤め先まで通っていた。その電車のなかで、教科書をもって乗り込んでくる大学生の姿。同じ年代で、私はうらやましく思った。その大学生の持っている教科書が宝物のように見えたのである。
そして、そののちにある大学に入った。学費の工面は親や兄貴からは期待できず、全部自分で稼がざるを得なかった。もともとどちらかといえば理系人間であったが、大学は文科に進み、主に経済史を勉強していた。海軍甲種飛行予科練卒?の私の大学入学資格は、「旧制中学卒」扱いということで、当然試験もあり、ちゃんと答えられた記憶もないのだが、何か知らんが通ってしまった。時代は伊井弥四郎議長が男泣きした二一ゼネスト中止の翌々年、産別会議は下火になり、下山・三鷹・松川という権力犯罪とおぼしき嫌な事件がおきていたが、中国大陸でも内戦。蒋介石政権は敗れて台湾に逃れ、中華人民共和国が建国した。「きけわだつみのこえ」が出版されたのも、そのころで、大いに反響を呼んでいた。なぜ、日本はあの無謀な侵略戦争に突入したのか、国のため、天皇陛下の御為にといわれて、軍人になった者が、結局遠い外地で悲惨な死を遂げ、同時にアジアの無辜の民が犠牲になった根本原因は何なのか、私も知りたいと思った。
大学に入る前から、「真相」などの雑誌は読んでいてそこに暴露物があり、高級軍人の軍物資隠匿やらの情報は得ていた。初めて、その鍵を解く学問的な本で、接したのは、野呂栄太郎の「日本資本主義発達史」であり、封建的色彩を濃く残した日本帝国主義が戦争とファシズムに活路を見出していったことを知った。
大学は戦災にあっていなかったので、大正の終りか昭和の初めに建てられた美しい講堂はそのまま残っていたし、どういうわけか大学の敷地の半分位は建物もあるのに、ほとんど使われていなかった。その使われていなかった敷地のなかに掘っ立て小屋のような建物があり、そのなかで、数人の仲間とインターを歌ったことを覚えている。その場には、女子学生もいた。なかに一人「いまぞ日は近し」と「旗は血に燃えて」というくだりが、どうも調子のおかしい人がいて、その人への歌唱指導のようになっていた。
といっても、別に政治活動とか、学生運動の類ではない。そこで、ちょっとしたパーティをしたのである。紅茶かなにか飲んだと思うが、酒を飲んで高歌放吟していたわけではない(もっとも、駅前の飲み屋ではよく高歌放吟していたが)。今にして思えば、大学側が学生の私的な集まりで、管理している建物の鍵を貸してくれるとも思えず、どのように建物のなかに入ったのか、よく分からない。
インター、すなわちインターナショナルの歌など、もう歌う人もおるまい。昔は学生も、労働者も、よく歌っていたが。今は、労働組合はすっかり有名無実なものとなった。社会構造の変化で、パートやフリーターなどの増加に伴って組織率も大幅に下がり、御用組合どころか会社の労務の出先機関に成り下がったものが多いと聞く。
それから、国際学連の歌。国際学連を国学連ともいうが、そういうと国学を研究しているように聞こえてしまう。それはともかく、この歌は歌詞も曲もよく、戦後学生運動の名曲であろう。小生、特に「砲火くぐり進んだ我ら 血と灰を思い起こせ 立ち上がれ世界の危機に 平和守る戦いに」という歌詞に共感する。自分は砲火をくぐっていないし、第一戦地に行かなかったのだが、実際に大学には野戦帰りの者や外地から引揚げてきた人間もいた。そして、当時は朝鮮戦争のさなかであった。
思えば、大学の建物のなかで女子学生たちとインターを歌ったころの自分には、わかさと希望があった。お金も家も資産もなかったが、未来があった。
大学院の先輩とも交流があったため、私に大学に残って学者になれという先輩もいた。「君のような人間は、実業界では使い物にならないから、大学院に進め」と滅茶苦茶をいう先輩(のちに大学教授となりロシア政治史か何かの研究をしていた)がいて、周りにいた別の先輩が、「それじゃ我々も実業界で使えないということじゃないですか」と言った。しかし、結局そうした意見には従わず、卒業後も会社勤めを続けた。井上清の本などは密かに読んでいたが、学生時代と異なり、会社の寮ではそういう本を置いておくわけにいかず、本の隠し場所には大分苦労した。そして、自分の生活や仕事を中心にあくせくやって、会社でも管理する側にまわり、いつのまにか年をとった。
血のメーデー事件、砂川基地闘争、左右社会党の統一、所感派、国際派に分裂していた共産党の統一、自民党の結成、岸信介が首相になり、俄かに日本中に広がった60年安保闘争、ミコヤン来日と部分核停条約の押し付け、いろいろ日本中が騒然となった問題があったが、いつも私は傍観者であった。
もはやこの年ではたいしたことは出来そうにないが、今の日本ではどうにもダメだ。しかし、なんとかせねば。
昔は、マスコミも戦争に対する反省などを掲げ、記事の内容も骨のある良いものが見られたが、今は産経新聞が「自民党の機関紙」といわれるのを筆頭に、権力側の世論操作の具に使われているような気がする。特に産経新聞は値段は安いが、内容もひどい。もはや社会の木鐸になっておらず、新聞の体をなしていない。
政治家も、随分と小粒になった。親の七光りのような代議士ばかりで、もう日本は何でも世襲制の封建時代に戻ったのかいなと思うくらい。
社保庁などのお役所は、あいかわらず出鱈目だ。社保庁では年金を着服する職員が多く、それで年金支払漏れがおきる構造になっているのだそうだ。かかるこっぱ役人は税金ドロボーかと思ったが、税金ドロボー兼年金ドロボーがいるわけだ。
ちょっと横道にそれたが、インターの話にもどすと、最近YouTubeにいくつかインターなどの画像、音楽があったので、以下にURLをしめす。こういうのが懐かしいというと、極左老人のように思われるかな。実際は、前述のように殆どノンポリに近かったのだが。
(最後に旧ソ連の国歌を載せていますが、思想的にどうこういうのはありません。曲が好きなのと、動画がよくできていたので載せました。旧ソ連については、ミコヤンという最高幹部がわざわざ来日し国政干渉をしたのですから、どちらかといえば嫌いでした:2007.07.01追記)
インターナショナルの歌(日本語)
http://youtube.com/watch?v=NbOLTFRVsek
The Internationale sung by Barbara Scott
http://www.youtube.com/watch?v=zOkSoQapeEM
The Internationale(ラテンミュージック系)
http://www.youtube.com/watch?v=X9r_8a9rPkc
REDS(1981年アメリカ映画)
http://www.youtube.com/watch?v=PDY0BAe_qGQ
国際学連の歌
http://youtube.com/watch?v=SCdlGH6RhBw
旧ソ連国歌
http://www.youtube.com/watch?v=qLcc19mt4eA
(写真は現在の銀座4丁目付近)