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2025/06/20 14:51 |
陸軍鉄道連隊演習線
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松戸から津田沼までの、かつての陸軍鉄道連隊演習線は、今は新京成電鉄になっている部分が多いのだが、厳密には松戸に近い部分、八柱~常盤平~五香、初富~鎌ヶ谷大仏などは、元の演習線とはかなり外れたところを現在の路線が走っている。

それはあまりにも演習線が曲がりくねってつくられていたために、ショートカットしたのと、松戸付近については工兵学校ではなく、松戸駅に乗り入れさせるために、路線を変えたのである。

沿線を歩いてみると、確かに演習線の名残がうかがえる箇所がいくつかある。八柱などは、駅周辺に境界標石がいくつもあり、少し離れた森のホール付近にも廃線跡がある。今や21世紀の森と広場は、千駄堀の塹壕や鉄道連隊演習線が通っていたというイメージはない。家族連れが行楽にくる広々とした公園である。ほかにも、線路が通っていた場所は、いろいろあるが、松戸市内は廃線部分を探るのも、だいたいが宅地化されていて難しい。

千葉から津田沼までの演習線、あるいは軽便鉄道跡は、道路となっている部分が多いが、こちらも普通の道路にしか見えないところが多いようだ。京成大久保駅付近のハミングロードも看板がなかったら、廃線道路とは思われないかもしれない。

千葉市内、園生のモノレール付近を走る道路も廃線跡である。ここは古くは軽便鉄道といわれ、近隣住民も利用していたそうだ。今は、すっかり奇麗に舗装されたバス通りになっている。沿道の大きなせんべい屋さんのご主人に聞いたところ、国体までは少し遺構が残っていたそうだ。国体で付近をきれいにしたときに、その遺構はなくなったという。詳しくはわからないが、柵か何か残っていたのだろう。これがずっとのびて、こて橋のあたりを通り、さらに八千代市へ入って、大きく迂回する。新川を越える鉄橋の橋脚があるらしいのだが、すっかり夏草が茂っている現在、確認できなかった。

ところで、新京成は京成の子会社であるが、京成が陸軍鉄道連隊演習線を払い下げることができたために、作られた会社である。京成は西武鉄道と鉄道連隊演習線を払い下げを争ったが、千葉に本拠があることなどから京成に軍配があがったそうだ。それにしても、新京成とは言いながら、東京にも成田にも通っていないのだから、本来は松戸津田沼鉄道とか、呼ばれてもよさそうだが。
津田沼にある鉄道第二連隊跡は、今では大学になっているが、この第二連隊については、いろいろな噂がある。まあ、これは怪談を紹介するブログではないので、詳しくは書かないが、ここの新兵が搠杖(さくじょう)という銃器の手入れ道具を意地悪な古兵に井戸に投げ込まれてしまったことにまつわる幽霊話がある。ほかにも、あまり気持ちの良くない話を聞いたことがある。

軍隊に怪談はつきものだが、もっと科学的に鉄道連隊についてみていきたい。鉄道連隊演習線についても、時間はかかるが、もう少し探ってみようと思っている。

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2007/10/08 12:21 | Comments(0) | TrackBack() | 反軍下士官森某

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