「原爆投下はやむをえなかった」
どこかで聞いたことのある言葉。これは、1975年(昭和50年)10月31日、訪米後の昭和天皇が記者会見で発言したものである。そもそも、天皇は陸海軍を統率する大元帥であった筈。それが、とんだ無責任発言である。
そして、今回の久間防衛大臣発言。これを、マスコミは以下のように伝えた。
「久間章生防衛相は30日、千葉県柏市の麗沢大で講演し、先の大戦での米国の原爆投下について『長崎に落とされ悲惨な目に遭ったが、あれで戦争が終わったんだという頭の整理で、しょうがないなと思っている。それに対して米国を恨むつもりはない』と述べた。米国が旧ソ連の日本への参戦を食い止めるため原爆を投下した側面があるとの見方を示し『日本が負けると分かっているのにあえて原爆を広島と長崎に落とし、終戦になった』と指摘。」(共同通信 06月30日 13時42分)
いかにも、被爆国の大臣としてふさわしからぬ発言である。また、もともと長崎を基盤とする代議士だったのに、一瞬のうちに死亡したり、全身に大きなケロイドを負い、苦しみながらなくなったり、原爆症で長期間苦しんだ被爆者のことが分かっていないようである。原爆の被害は、直接の被爆者だけにとどまらない。そういう現実感がないから、あのような発言をするのだろうか。
西日本新聞は、以下のように、今回の久間発言について、「新たな逆風」と指摘する。
「悲惨な被害をもたらした原爆投下は『しょうがない』ことだったのか。30日、被爆地選出の久間章生防衛相(衆院長崎2区)が口にした言葉に、怒りと反発が起きた。『被爆者の痛みが分かっているのか』。憤りをあらわにする被爆者たち。九州各地の有権者にも失望やため息が渦巻いた。間近に迫った参院選への影響も予想される。安倍晋三政権にとっては年金問題に加え、新たな“逆風”になるかもしれない。
■被爆者語気強め 『核廃絶の努力愚弄』
30日夕、長崎市内で行われた『高校生平和大使』の活動10周年を祝う会。核兵器廃絶を願う署名を集め、国連に届ける若者の活動を支えてきた出席者の間には久間防衛相発言に対する怒りが広がった。あいさつで被爆者手帳友の会会長の井原東洋一さん(71)=長崎市=は発言内容を紹介し、『耳を疑いたくなるような発言で、断じて許せない』と批判した。」(2007年7月1日(日)10:10 )
久間防衛大臣は、浅はかな発言をしたが、実は昭和天皇と同じことを言ったのである。無責任なのは、謀略をもって満州事変や上海事変を起こし、侵略戦争を始めたばかりか、無闇に戦線を拡大し、国民とアジア民衆に多大な犠牲を強いたかつての日本の支配層、軍部も同様である。連綿として無責任の連鎖が、戦時中から続いている。
久間防衛大臣の発言で野党が色めきたつなか、自民党も慌てだした。自民党の中川政調会長は「国民は、特に長崎、広島の方々は非常に敏感になるでしょう。残念」と言ったが、これは当然参院選挙を意識したもの。一応久間防衛大臣は発言内容は撤回していないが、謝罪したようだ。
それにしても、稀代の問題児首相、安倍首相を筆頭に自殺した故・松岡農林水産大臣、「女は産む機械」発言の柳沢厚生労働大臣、そして今回の久間防衛大臣と、この政府は一体どうなっているのか。
(写真は長崎に投下された原子爆弾のキノコ雲)
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