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2025/06/20 15:39 |
帰ってきた天下の碁盤
碁は白と黒の碁石を限られたスペースである碁盤の上において、攻防をおこなう、まさに小さな碁盤の上で展開される作戦、駆け引きの世界。
天下人である豊臣秀吉と徳川家康が、碁の対局をしたと伝えられる、碁盤が京都の大徳寺・龍源院にある。碁盤の側面には金蒔絵がほどこされ、碁笥には豊臣の桐の紋と徳川の三つ葉葵の紋が描かれている。

京都の大徳寺・龍源院は、方丈前庭の「一枝坦」(いっしだん)、北庭の「竜吟庭」、東にある壺庭「東滴壺」など庭園が綺麗で、大徳寺のなかでも古いことで有名な塔頭である。小生、この大徳寺が好きで、若い時にはよく行ったものである。方丈の前の庭をしばらく見ていたり、茶室に座ってみたり、しばし世の塵を忘れるような気がした。大徳寺には、龍源院のほかに、高桐院、大仙院、総見院、などの二十あまりの塔頭がある。そもそも大徳寺は、正和4年(1315年)の創建以来、臨済禅の座禅修行に専念したものの、享徳2年(1453年)の火災と応仁の乱(1467年-1477年)で当初の伽藍を焼失したが、一休宗純が堺の豪商らの協力をえて復興、貴族、大名、商人、文化人など、幅広い層の保護や支持を受けて栄え、茶の湯や書道などとも縁が深い。

龍源院によれば、
「本院は大徳寺南派の本庵で、文亀2年(1502)大燈国師八世の法孫東渓宗牧を開山として、能登(石川県)守護畠山義元が創建したものである。
 方丈・唐門・表門はいずれも創建当初の建物で、大徳寺山内最古の建物であり、禅宗方丈の典型的な形式を示している。本尊釈迦如来像は建長2年(1250)行心の作、以上いずれも重要文化財に指定されている。そのほか、方丈襖絵に室町時代等春筆「列仙の図」がある。庭園は各様式からなり、特に方丈北庭は室町時代相阿弥作と伝えられる須弥山式枯山水の名園、方丈東庭は珍しい壺石庭で有名。また、方丈前庭にはもと大宮御所にあった桃山型石燈籠があり、さらに聚楽第の礎石を配した阿・吽(あ・うん)の石庭等もある。
 寺宝には、他に豊臣秀吉、徳川家康が対局した四方蒔絵の碁盤、天正11年(1583)在銘の種子島銃などがある。」とのこと。

実は、この碁盤一度盗難にあっている。2005年3月3日の碁界ニュースに、以下のようにある。

「秀吉の碁盤や重文発見・奈良県警、元古物商ら逮捕
奈良県警捜査一課などは3日までに、窃盗などの疑いで大阪市城東区、会社員福田信三容疑者(61)、韓国籍の大阪市西成区、元古物商高成一容疑者(57)ら5人を逮捕、1人を指名手配し、京都市北区の大徳寺で昨年4月、盗まれていた碁盤や火縄銃などを発見、押収した。
 碁盤は金粉で四季の風景を描き、豊臣秀吉と徳川家康が対局に使ったと伝わる品。奈良県吉野町の吉水神社で盗まれた室町時代の鉄製刀つば「鉄鍔(てつつば)」(国の重要文化財)なども見つかった。
 グループは福田容疑者ら2人が盗んだ品を高容疑者らが買い取り、転売するなどしたとみられる。捜査一課などはグループで貴重な文化財を狙って盗み、売りさばいていたとみて追及する。
 碁盤などは高容疑者の自宅や高知市玉水町、ホテル経営斎城直好容疑者(54)=盗品等有償譲り受け容疑で逮捕=のホテルなどで見つかった。
 調べでは、福田容疑者は昨年4月、大徳寺塔頭(たっちゅう)龍源院の展示室に侵入、碁盤や火縄銃など7点を盗むなどした疑い。
 吉水神社は昨年10月、展示していた鉄鍔や蒔絵(まきえ)箱など5点が盗まれた。」

つまり、1年ほども、天下人の碁盤が大徳寺龍源院を離れ、また帰ってきたということになる。盗んだ連中は、まことにけしからんが、どこか外国の富豪とか出てこないようなところに売られていなくて良かった。しかし、よく帰ってきたものである。

なお、写真は龍源院の碁盤(左)、龍源院の「一枝坦」(右)。img_373168_1701969_0.jpgimg_373168_1701969_1.jpg

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2007/10/08 12:56 | Comments(0) | TrackBack() | 閑話休題

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