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2025/06/20 07:57 |
河和海軍航空隊の空襲被害
「河和海軍航空隊調査報告書」によれば、「米国戦略爆撃調査団報告」のなかの「海軍・海兵隊艦載機戦闘報告書」の河和関係の記録の一つが、1945年7月25日の空母レキシントンから12時に飛び立ったF6Fグラマンヘルキャット5機、F4Uコルセア2機が本土に侵入、河和空を14時15分から攻撃、2個の爆弾で格納庫と作業場を破壊したというもの。同日、空母サンジェントからもF6Fグラマンヘルキャット10機が河和空に対する攻撃と写真撮影を行った。迎撃飛行機はなく、地上からの反撃も貧弱な対空砲や機銃によるもののみであったという。

ここでの攻撃により、第二河和海軍航空隊の格納庫、作業場、エプロンや第一河和海軍航空隊の機体整備場が破壊されたようである。確かに米軍が撮影した航空写真では、軍港の脇の第一河和海軍航空隊の機体整備場あたりから煙がのぼっているのがよく分かる。

この日の空襲について、去年の美浜町の河和海軍航空隊展に掲示されていた年表になかったのであるが、どうも美浜町が掲示していたのは、第一河和海軍航空隊の主計科の方が記録したものである。出張などで本隊不在のことがあったとあるので、記録が一日抜けていてもと思うが、前日の24日には朝7時にP51、グラマン約10機が来襲し、ロケット弾機銃攻撃で、主計の田村主計分隊士(尉官クラスの士官と思われる)が戦死している。つまり、前日に特筆すべき空襲があり、26日にも空襲の記事がみえるのに、真ん中の25日だけ抜けているのはやはり不自然である。前日では午前中の空襲であり、時間が違い、どうも25日の昼からの空襲ではないように思える。ちなみに、河和町中部国民学校日誌にも、7月25日の空襲については書かれていない。これについては、前回引用させていただいた、ブログ「御塩クラブ」の管理人のかたから、米国海軍の報告書で書かれていた日付・時間が、日本時間ではなく、アメリカの時間であり、時差の関係でズレているのではないかというご指摘を頂いた。確かに、その可能性も高い。アメリカ人が本国の公式文書に書くのだから、アメリカ時間というのは納得性がある。
この件、ほかの隊員の資料なり、日誌等の記録をみて、さらに検討を要す。
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2007/10/08 12:50 | Comments(0) | TrackBack() | 海鷲の墓標

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