先日、流山糧秣廠の引込線が一部残っており、柏の葉の陸軍飛行場跡まで通じていると、ある人から聞いた。また隣接する市の教育委員会の学芸員氏からも、柏の陸軍病院から高野台の高射砲陣地あたりまで、線路が残っていたと教えてもらった。ある学校の敷地に線路跡があり、それを学校の人は子供が遊ぶために遊園地にあるような電車が走っていたのだろうと言っているが、自分はそうは思わない。高野台一帯に軍用の線路があったのだろう、とのことであった。糧秣廠の引込線が高野台まで延びていたというのは、途中台地から低地に下る部分があるため、少々無理があり、流山の糧秣廠と柏の高野台までは繋がっていなかったようである。
しかし、流山糧秣廠については、余り戦争遺跡関連の書籍などでも紹介されておらず、幸いにして流山市の方でいろいろ調査しているので、一度資料集めに行くことにする。
実は、その話を聞くまでは、余り流山方面には興味がなく、松戸の千駄堀にある塹壕群を調べようとしていた。それはそれで調べるのだが、流山の話はぜひ何とかものにしようと思う。
それにしても、小生のHPは『千葉県の戦争遺跡』を謳っているのに、なかなか東葛飾から出られない。東葛飾には、まだまだ戦争遺跡があるからである。東葛が片付いたら、佐倉から成田、それも終わったら佐原から銚子方面へ、また木更津から南房総へと足を伸ばしたい。その前に、東葛飾を何とかせねば。
でも、陸サンの戦争遺跡ばかりである。今まで見てきた遺跡で、海軍のものは行田の無線塔跡くらいで、後は木更津まで行かないと。
(写真は柏市高野台にある高射砲第二連隊の営門)
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