これは1275年に日蓮上人が、高弟である曽谷教信入道にあてた手紙の文章である。曽谷氏は、千葉氏の一族、現在の千葉県市川市曽谷に館を構え、持仏堂はのちに日蓮宗の安国寺となった。曽谷教信以外にも、下総国には富木常忍や大田乗明といった、日蓮宗に帰依した武士たちがいた。なお、写真は曽谷教信が晩年に住んだ市川大野の法蓮寺。
【文永十二年三月、曽谷教信、聖寿】
方便品の長行書進せ候。先に進せ候し自我偈に相副て読みたまうべし。
此の経の文字は皆悉く生身妙覚の御仏なり。然れども我等は肉眼なれば文字と見るなり。
例せば餓鬼は恒河を火と見る、人は水と見る、天人は甘露と見る。水は一なれども果報に随て別別なり。
此の経の文字は盲眼の者は之を見ず、肉眼の者は文字と見る、二乗は虚空と見る、菩薩は無量の法門と見る。
仏は一一の文字を金色の釈尊と御覧あるべきなり。即持仏身とは是なり。
されども僻見の行者は加様に目出度く渡らせ給ふを破し奉るなり。
唯相構へて相構へて異念無く一心に霊山浄土を期せらるべし。心の師とはなるとも心を師とせざれとは六波羅蜜経の文ぞかし。
委細は見参の時を期し候。恐恐謹言。
文永十二年三月 日 日蓮花押
曽谷入道殿
方便品の長行書進せ候。先に進せ候し自我偈に相副て読みたまうべし。
此の経の文字は皆悉く生身妙覚の御仏なり。然れども我等は肉眼なれば文字と見るなり。
例せば餓鬼は恒河を火と見る、人は水と見る、天人は甘露と見る。水は一なれども果報に随て別別なり。
此の経の文字は盲眼の者は之を見ず、肉眼の者は文字と見る、二乗は虚空と見る、菩薩は無量の法門と見る。
仏は一一の文字を金色の釈尊と御覧あるべきなり。即持仏身とは是なり。
されども僻見の行者は加様に目出度く渡らせ給ふを破し奉るなり。
唯相構へて相構へて異念無く一心に霊山浄土を期せらるべし。心の師とはなるとも心を師とせざれとは六波羅蜜経の文ぞかし。
委細は見参の時を期し候。恐恐謹言。
文永十二年三月 日 日蓮花押
曽谷入道殿
(大要)
経の文字は、みな生きた仏として拝するべきであるが、われわれ世俗の人の目から見れば、ただの文字である。餓鬼は川の流れも火に見えるが、人はそれを水と見るし、天人は甘露(薬)と見る。このように、同じ水でも善悪を積んだ結果によって、受け取り方がわかれる。法華経の文字も盲目の人には見えないが、普通ならば人には文字と見える。二乗は執着を離れた空の姿としてとらえ、菩薩は無量の法門と見る。仏は、法華経の一々の文字を金色の釈迦如来と御覧になる。
経の文字は、みな生きた仏として拝するべきであるが、われわれ世俗の人の目から見れば、ただの文字である。餓鬼は川の流れも火に見えるが、人はそれを水と見るし、天人は甘露(薬)と見る。このように、同じ水でも善悪を積んだ結果によって、受け取り方がわかれる。法華経の文字も盲目の人には見えないが、普通ならば人には文字と見える。二乗は執着を離れた空の姿としてとらえ、菩薩は無量の法門と見る。仏は、法華経の一々の文字を金色の釈迦如来と御覧になる。
ものの価値が分からない人、本質を見抜くことが出来ない人が見ても、なんとも思わないようなものでも、見る人がみれば大きな価値をもつ。表面的にしか見ることのできない人から、つまらないものと打ち捨てられているもののなかにも、実は光芒を放ち、優れたものがあるのかもしれない
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