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2025/06/20 16:18 |
一字の師
「一字の師」と言う言葉がある。最近、この年になって、その言葉の意味が良くわかる出来事があった。

先日、市川の国分にある陸軍射撃場跡を探していたときのこと、大体の場所は知っていた小生、松戸街道を国府台病院のバス停でおり、松戸方面にしばらく進んで、じゅんさい池の看板を目印に台地を降りていった。やけに寺や墓場の多い場所を過ぎ、そのまま道沿いに東へ行けば良かったのだが、北の小道をあがっていくと式場病院の中に出てしまった。

はて、困ったと思って、出口を探すがなかなか出られない。うろうろ歩く小生を怪しみ、木で鼻をくくったような口調で注意する職員の人に「もっと親切な物言いもあるもんだ、こんな病院死んでもかかってやるもんか」とちょっと腹をたてながらも、何とか出口は教えてもらい、また北側の松戸街道に近い低地に出た小生、上がったり下りたりして少しく疲れ、このままでは日が暮れてしまうと焦っていた。

誰かに聞きたいが、「陸軍の射撃場跡はどこですか」と聞いても、若い人や新住民は知るまい。中には意地悪く、「お宅さん、どこの人? そんな場所はありませんよ」などと言う人間もいる。通行人をみても、知っていそうな人ではない。
仕方がないので、また山勘で歩くかと思った矢先、紺色のブレザーを着た老紳士が通りかかった。この人ならと思い、聞いてみると、案の定、旧陸軍の実弾射撃場跡の場所を知っていた。今のじゅんさい池の東側台地地一帯が東練兵場であり、射撃場はじゅんさい池に近い、その台地端にあった、今は住宅地になっていて遺構は残っていない、当時の射撃演習では銃弾を南東から北西方向に撃ったとのことである。老紳士は親切にも、その台地がよく見える地点まで案内してくれた。そして、物静かな口調で説明してくれた。その人は旧陸軍病院や野砲兵連隊のことも知っていたが、そちらのほうは小生も何度か行って知っている。

しかし、大げさに言えば「地獄に仏」のような気がした。本当にありがたいと感じ、「ありがとうございました。助かりました」と老紳士にお礼を言った。中国の故事で「一字の師」というのがあるが、まさにこのことだと思った。
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2007/10/08 12:08 | Comments(0) | TrackBack() | 反軍下士官森某

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