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2025/06/20 07:30 |
手賀沼沿岸大井の福満寺
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現在は柏市になっている旧沼南町大井という場所は、旧沼南町でも比較的早くから開けた地区である。それは、手賀沼・大津川の水運をバックに、商業活動が早くから行われてきたためとされる。また、手賀沼は、本来風光明媚だったところで、手賀沼に面した我孫子などには志賀直哉をはじめとする文人や芸術
家が多くすんだ。

この大井といえば、手賀沼八景、「大井の晩鐘」の福満寺。ここの住職は、なかなかユニークな人物。
福満寺は、相当な古寺であるのだが、このお寺の正式名称は教永山福満寺積善寺という。ご本尊は阿弥陀如来で、天台宗の寺である。奈良時代に尊慶によって開山されたと伝えられるが、確か以前発掘で唐三彩か何か出ていたと思う。

福満寺は山門からして、古色蒼然としている。1728年(享保13年)に建てられたというが、鐘楼を兼ねた楼門造り山門で、「教永山」の扁額の文字が鮮やかである。山門は、香取神社の隣にあるのだが、神仏混交の昔は福満寺と香取神社は一体だったらしい。
しかし、山門を過ぎると、なぜ本堂まで下がっていくのであろうか、逆に上って行く寺はよくあるのであるが。それはともかく、相馬御厨がかつてあった場所は、鎌倉時代に相馬氏が支配下においたために、相馬氏が千葉氏、さらには平良文ら阪東平氏の流れを汲み、また平将門が本拠にした岩井も近いとあって、この辺りにも将門伝説がある。将門伝説は、市川大野にもあるし、このような手賀沼周辺にもある。
下総では北へ行くほど将門に同情的なものが多く、市川でも本八幡あたりに南下すると、将門を調伏する側の伝説(菅野様、八幡の藪知らず)が出てくる。また、成田山は将門を調伏するための祈祷を行った寺として、将門に同情的な地域の人は成田山には参詣しないという風習も残っている。

福満寺の近くにも、将門伝説の遺跡がある。それは、伝承によると、平将門が藤原秀郷に敗れてなくなった後、その妾であった車ノ前が遺児とともに大井の地に隠れ棲み、将門が信仰していた妙見菩薩を祀る堂をたてて、菩提を弔ったというものである。実際、車ノ前の墓と伝えられる五輪塔が、福満寺の裏にある。すなわち、福満寺南側の境外地の妙見堂の跡地に、その五輪塔はある。車ノ前が生前将門の菩提を弔うために妙見菩薩を祀る堂をたてたものが、現在の妙見堂跡といわれ、地元の人々は例年2月21日には将門の命日と称して妙見講を行っている。

そのほか、福満寺境内には、高城氏の家臣であった日暮玄蕃の供養塔とかあり、またそれについての「解説」などあるが、ちょっと荒唐無稽なので、ここでは述べない。
そのほか、福満寺境内には、「これいったい何?」と思う位、ごてごてと、いろんなものがあるが、住職の人柄を思えば、まあ仕方がないかと思ってしまう。

さて、手賀沼周辺の相馬御厨があった地域は、千葉常胤の父常重が、その叔父常晴から1124年(天治6年)に相続し、1130年(大治5年)に伊勢神宮に寄進するが、公田官物未納を理由に国守藤原親通に取り上げられ、その後源義朝が領有した。当時、源義朝に千葉氏はしたがっており、つまり千葉氏は主筋に良いようにされたわけだ。千葉氏も未納分を返して権利を主張したが、義朝の方に分があったらしい。常陸の源義宗が相馬郡を領有して、さらに複雑な事態となり、再び千葉氏が相馬郡を領有するのは1180年(治承4年)の頼朝挙兵後である。千葉常胤から次男の相馬次郎師常が相続した以降は相馬氏が支配したが、下総相馬氏は南朝につき、主力が奥州へ移ったため、衰退。戦国時代には、大井辺りも日暮玄蕃の主家である高城氏の領有するところとなった。

前述したように、大井は手賀沼、大津川の水運の拠点で、古くから商業活動も営まれていたようである。商業、流通は、物と同時に、人の行き来も伴うものである。そのため、大井は旧沼南町では、比較的開放的なところがあるのかもしれない。

静かな夕暮れに、「大井の晩鐘」は聞こえるだろうか。

(参考サイト)「薔薇の古城」   http://mori-chan.cocolog-nifty.com/dai2/
       なお、福満寺山門の写真は、上記ブログ筆者、森-CHANより借用した
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2007/10/08 12:43 | Comments(0) | TrackBack() | 反軍下士官森某

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