「ああ江田島 海軍兵学校物語」という大映映画があり、随分昔に見たことがある。最近、DVD化されまた見てみたが、昔はわざとらしいなあと思ったシーンも、今見返してみるとそうでもない。映画の中の主要な登場人物は戦死してしまうのだが、改めて戦死した方々、空襲や戦地や軍隊内での病気のために亡くなった方々の冥福を祈りたい。
映画は冒頭、兵学校の生徒だった特攻隊の生き残りの石川竜太郎(小林勝彦)が古鷹山に登り、江田島を眺め、「海は死んでいる」とつぶやくと、一天俄かに掻き曇って昔の軍艦が浮かんだ江田島湾が眼下に広がり、山の斜面に村瀬真一や小暮生徒ら、戦死した兵学校出身者たちが次々に立ち現れる幻想をみるところから始まる。
江田島では上から年次が古い順に一号生徒、二号生徒、三号生徒と呼び、三号はいわば新入生である。その新入生に一号生徒たちが気合を入れる。一号生徒の中で一番の強面が小暮生徒(本郷功次郎)で、彼は自己紹介のときの声が小さく、かつ反抗的な村瀬真一三号生徒(野口啓二)を殴りつけた。
やがて同じ三号生徒の石川や村瀬たちは、厳しい訓練に入っていく。村瀬は実は中学時代にぐれてしまい、中学校の斎藤先生(根上淳)の薦めで兵学校に入ったのだが、再婚した母(三宅邦子)のもとを離れたいという個人的な事情もあった。石川と村瀬はある日、兵学校の田口教官(菅原謙次)の妹由美子(仁木多鶴子)と偶然であい、教官の家を訪問する。その田口教官の家には先客があり、それは小暮生徒であった。石川は、小暮生徒が本当は良い奴であることに気付くが、村瀬は従来の態度を変えず、他の三号生徒とも衝突したりした。石川は、由美子にほのかな思慕の念を抱くようになる。
兵学校では、相変わらず厳しい訓練が続いていた。ある時、態度が悪いと週番生徒に殴られた村瀬を小暮生徒がかばう。実は、小暮生徒は村瀬を兵学校に送り込んだ中学校の斎藤先生が、別の中学校にいたときに面倒をみていた元不良少年であり、その先生から村瀬のことを頼まれていたのであった。そのことを知った村瀬は、泣いて今までの態度を変える。
やがて一号生徒が巣立つ日が来て、小暮生徒は潜水艦に乗り込んだ。
休暇で一時帰郷の際に、村瀬は自分の実家ではなく、石川の実家へついていく。しかし、石川の母は既に一ヶ月前に死亡しており、訓練のさわりになると気遣ったその母の遺言で石川には連絡されなかったのである。嘆く石川を見ていたたまれなくなった村瀬は、自分の実家に帰る。見違えるようになった村瀬を母や妹は暖かく迎える。
そして、戦局が日本に不利に展開していくなか、石川、村瀬も一号生徒となる。加納教官(伊沢一郎)からは本土決戦の日が近いことが、訓示される。
あるとき、空襲があり、防空壕に逃げ込んだ彼らの見ている前で、軍艦が敵機の攻撃を受けて炎上沈没する。憤激した村瀬は壕を飛び出し、防空要員が倒れた銃座に入って敵機にむかって機銃を撃ちまくり、敵機の機銃掃射を受けて死んでしまう。
海軍中尉となった小暮は、沖縄に出撃するために、名残りを惜しんで兵学校に来て、出会った石川から村瀬の死を知る。「馬鹿な奴」と言って、小暮は去る。そして、その小暮も特殊潜水艇回天に乗り込んで、敵艦に体当たりして死んでしまう。
石川は九州南端の航空基地(鹿屋のことか)で、特攻要員となった。そして特攻に出撃し、墜落するが、一命を取り留める。そして戦後十年以上たって、再び古鷹山に登ったのであった。
ここで、最初のシーンに結びつく。つまり、ファーストシーンとラストシーンが同じ場所、同じ時点という訳である。古鷹山では、なぜか田口教官の妹由美子が登ってきて、石川と再会する。ちょっとこの設定は強引かもしれない。由美子は「売れ残り」でまだ独身だと石川に告げる。そして、二人で江田島を見下ろしているシーンで、映画は終わっている。小生は、再会を喜ぶ石川と田口由美子は、そのまま別れることはありえず、結婚すると思うのだが、これは菊村到の原作を見てみないと分らない。結婚をしないまでも、あつい抱擁をして接吻くらいはして欲しいものだ。
これは戦争映画というより、兵学校を題材とした青春映画である。木下忠司の音楽も、叙情豊かな雰囲気を醸し出している。ちょっと不思議なのは、主人公も本来は村瀬の野口啓二なんだろうが、映画では主人公は、その友人の石川役の小林勝彦に見える。殆ど、石川の目で見たことと石川の回想ばかりなのである。小暮生徒の本郷功次郎が準主役といった役回り。DVDのキャスト欄を見ても、石川役の小林勝彦が先頭に書いてある。
青春映画といっても、よくある恋愛ネタは石川の由美子へのほのかな思慕以外なく、男同士の友情や先輩後輩の交流の話と村瀬や石川の家庭の話が中心である。
この映画ですごいと思ったことが一つ、それは防空壕がリアルに再現されていたこと。昔、海軍のどこの施設でも防空壕はあったが、大抵入口が狭く1.2m四方程度の方形か上が丸いドーム状の横穴になっていて、地表面上には土を厚く盛っているが、内部の天井は高く、奥が広い、十人くらいゆうゆうと入ることができるものが多かったと思う。また入口が斜めになっていて、コンクリートの階段で地下へ入る形式のものがあったが、あのようなタイプもあった。
勿論、私は海軍兵学校に入ったこともなく、ある海軍工廠にいただけで、兵学校出のカッコイイ士官さんとは無縁であった。身近な軍人といえば、軍属技師が名を変えた技術士官くらいで、彼らはあくまで技術屋であり、兵科将校とは違っていた。だから詳しくは分らないが、聞いた話では、やはり服装や立ち居振舞いにいたるまで、厳しい規律があり、それに違反するものには罰直が待っていたという。
難を言えば、唯一の戦闘シーンといってもいい、敵機グラマンが江田島湾上に浮かぶ軍艦を襲う特撮が、今ひとつであったこと。やはり、特撮は東宝か。ちなみに特撮は、軍が戦意高揚のために作らせた映画で初めて使われたものである。戦後になって、主に子供向けの映画やテレビで多用されるようになったが、最初は軍艦が沈没するシーンを撮るにしても、本物を沈めるわけにいかなかったので、軍の奨励する映画で戦闘シーンを撮る際に使われたのである。
今までこの手の映画はばかにして余り見たこともなかったが、なかには良いものがあると思った。しかし、最近の戦争映画は荒唐無稽でリアリティもなく、おまけに戦争を賛美しているようなものばっかりで、見る気にもならないようなものが多いのが不満である。
(写真は磐手艦上の少尉候補生、文章は城たく也氏のブログ「中年ジェット」から許可を得て転載)
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