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2025/06/20 05:21 |
昭和天皇、久間防衛大臣に共通する無責任
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「原爆投下はやむをえなかった」

どこかで聞いたことのある言葉。これは、1975年(昭和50年)10月31日、訪米後の昭和天皇が記者会見で発言したものである。そもそも、天皇は陸海軍を統率する大元帥であった筈。それが、とんだ無責任発言である。

そして、今回の久間防衛大臣発言。これを、マスコミは以下のように伝えた。

「久間章生防衛相は30日、千葉県柏市の麗沢大で講演し、先の大戦での米国の原爆投下について『長崎に落とされ悲惨な目に遭ったが、あれで戦争が終わったんだという頭の整理で、しょうがないなと思っている。それに対して米国を恨むつもりはない』と述べた。米国が旧ソ連の日本への参戦を食い止めるため原爆を投下した側面があるとの見方を示し『日本が負けると分かっているのにあえて原爆を広島と長崎に落とし、終戦になった』と指摘。」(共同通信 06月30日 13時42分)

いかにも、被爆国の大臣としてふさわしからぬ発言である。また、もともと長崎を基盤とする代議士だったのに、一瞬のうちに死亡したり、全身に大きなケロイドを負い、苦しみながらなくなったり、原爆症で長期間苦しんだ被爆者のことが分かっていないようである。原爆の被害は、直接の被爆者だけにとどまらない。そういう現実感がないから、あのような発言をするのだろうか。

西日本新聞は、以下のように、今回の久間発言について、「新たな逆風」と指摘する。

「悲惨な被害をもたらした原爆投下は『しょうがない』ことだったのか。30日、被爆地選出の久間章生防衛相(衆院長崎2区)が口にした言葉に、怒りと反発が起きた。『被爆者の痛みが分かっているのか』。憤りをあらわにする被爆者たち。九州各地の有権者にも失望やため息が渦巻いた。間近に迫った参院選への影響も予想される。安倍晋三政権にとっては年金問題に加え、新たな“逆風”になるかもしれない。

■被爆者語気強め 『核廃絶の努力愚弄』

 30日夕、長崎市内で行われた『高校生平和大使』の活動10周年を祝う会。核兵器廃絶を願う署名を集め、国連に届ける若者の活動を支えてきた出席者の間には久間防衛相発言に対する怒りが広がった。あいさつで被爆者手帳友の会会長の井原東洋一さん(71)=長崎市=は発言内容を紹介し、『耳を疑いたくなるような発言で、断じて許せない』と批判した。」(2007年7月1日(日)10:10 )

久間防衛大臣は、浅はかな発言をしたが、実は昭和天皇と同じことを言ったのである。無責任なのは、謀略をもって満州事変や上海事変を起こし、侵略戦争を始めたばかりか、無闇に戦線を拡大し、国民とアジア民衆に多大な犠牲を強いたかつての日本の支配層、軍部も同様である。連綿として無責任の連鎖が、戦時中から続いている。

久間防衛大臣の発言で野党が色めきたつなか、自民党も慌てだした。自民党の中川政調会長は「国民は、特に長崎、広島の方々は非常に敏感になるでしょう。残念」と言ったが、これは当然参院選挙を意識したもの。一応久間防衛大臣は発言内容は撤回していないが、謝罪したようだ。

それにしても、稀代の問題児首相、安倍首相を筆頭に自殺した故・松岡農林水産大臣、「女は産む機械」発言の柳沢厚生労働大臣、そして今回の久間防衛大臣と、この政府は一体どうなっているのか。

(写真は長崎に投下された原子爆弾のキノコ雲)
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2007/10/08 12:15 | Comments(0) | TrackBack() | 反軍下士官森某
赤城徳彦農相の疑惑と安倍政権
一体、安倍政権とは何なのか? 既に閣僚で辞任が2人(佐田行革担当大臣、久間防衛大臣)、自殺が1人(松岡農林水産大臣)である。今回、赤城徳彦農林水産大臣に事務所経費問題という前任者で自殺した松岡前大臣と同じ疑惑がもたれている。

佐田行革担当大臣の件は、内閣発足当初に近い時期に、自分の政治資金団体が政治資金規正法で定められた適切な会計処理をしていなかった問題。松岡農林水産大臣については、事務所経費問題(「なんとか還元水」で有名)とやはり「緑資源機構」の大汚職が自殺の原因とされる。その前任者が前任者なら、後任の赤城大臣もなっていない。

この赤城徳彦という大臣、前任者である松岡前大臣が死んで就任してから幾月もたっていないのに、この有様である。
この赤城なにがしで思い出すのは、赤城宗徳。赤城徳彦大臣は、赤城宗徳の孫であり、ポストも爺さんが岸内閣の農林大臣であったのと同じである。赤城宗徳は戦争中岸信介の率いる護国同志会のメンバーで、戦後自由党の代議士となり、民主党に転じたが、1955年(昭和30年)の保守合同で両党がくっついて自由民主党になり、同党代議士となり、その後1957年(昭和32年)第1次岸内閣で農林大臣となった。派閥は岸派であったが、岸が福田赳夫に派閥を譲ると反発して、川島派に加わり、のちに河本派に移っている。閣僚としては農相以外に防衛庁長官もつとめている。赤城宗徳は農林大臣就任早々、難しい日ソ漁業交渉をやった人物であり、保守政治家としてそれなりの人間であった。まあ、やったことのない人にはわからないだろうが、外国人相手の商売や交渉ほど、やりにくいものはない。それはともかく、赤城宗徳は、岸内閣において初めての閣僚経験にして、イシコフ・ソ連漁業大臣との間で「100日漁業交渉」と呼ばれる激しい交渉を繰り広げたのである。

つまり、今からちょうど50年前の1957年(昭和32年)当時の首相の孫が首相で、農相の孫が農相という訳だ。代議士は、今や世襲制とあいなり、ボンクラでもおやじや爺さんがエラければ、地盤、看板、かばん、金庫番やら、金のにおいに敏感な男芸者も受け継いで、代議士や、場合によっては大臣にもなれてしまうのである。
日本の政治も、ここまで世襲制になってしまったのかと思う。

さて、今回の赤城徳彦大臣が持たれた疑惑について、東京新聞の2007年7月8日 朝刊によれば、以下の通り。

「事務所経費10年で1億 赤城農相政治団体 実家と妻親族宅に

 赤城徳彦農相(衆院茨城1区)の政治団体『赤城徳彦後援会』が、同農相の実家を事務所として茨城県選管に届けながら多額の経常経費を計上していた問題で、経費の総額が二〇〇五年までの十年間に計約九千四十五万円に上ることが七日、政治資金収支報告書から分かった。代表者の元茨城県議は『勝手に代表にされた。事務所の実体はない』と証言しており、不自然な支出ぶりが浮き彫りとなった。 

 赤城農相は同日、記者団の取材に応じ『付け替えとか架空のものの計上はない』と説明した。

 政治資金収支報告書によると、十年間の経常経費の内訳は人件費が六割近くを占め、約五千三百五十三万円を計上。続いて、事務所費約千六百三十一万円▽備品・消耗品費約千二百六十六万円▽光熱水費約七百九十四万円-の順だった。

 年ごとの経費の額の変動幅が大きいのが、同団体の支出の特徴。経常経費が一九九八年以降、四年連続で一千万円台を計上しているのに、〇四、〇五年は二百万円台と大幅に落ち込んでいた。

 家賃などに相当する事務所費は一般に変動幅が小さいとされるが、同団体では、〇三年に約三百五十七万円を計上する一方、〇五年にはわずか約四十万円となっており、不自然さが目立つ。

 赤城農相は記者団への説明で、事務所費について『実家なので家賃は払っていない。電話代や切手代、事務機器のリース料などを積み上げた額』と語った。

 人件費については『常駐スタッフはいないが、忙しいときはアルバイトなどを雇っている』としている。

 収支報告書に代表と記載されている元茨城県議の男性は同日、『(赤城農相の祖父で元農相の)宗徳さんの選挙では事務所として使っていたこともあったが、今は使用していないはず』と語り、事務所の活動実態がなかったことを証言した。

 一方、東京都世田谷区にある赤城農相の妻の親族宅が所在地の政治団体『徳政会』も、〇五年までの十年間に毎年百万円以上、計約千五百万円の経常経費を計上していることが、総務相届け出の収支報告書で分かった。

 同団体の代表者は『十年ぐらい前に、私の父から引き継いだ。赤城農相の妻はめい。私は(代表として)名前を貸しているだけで、支出は分からない』と話している。

首相、進退問題化を否定

 安倍晋三首相は七日夜、赤城農相の政治団体に不明朗な事務所費の支出があった問題で、野党側から辞任要求が出ていることについて『そういう問題ではない』と述べ、進退問題への発展を否定した。ただ、二十九日の参院選を前にして国民の批判が高まれば、与党内から辞任要求が出る可能性もあり、予断は許さない情勢だ。

 『政治とカネ』の問題をめぐっては、佐田玄一郎前行革担当相が、同様の問題が指摘されて昨年十二月に辞任に追い込まれた前例があるが、首相は『(佐田氏の例とは)違う』と明言。不適切な点はなかったとの見方を示した。さらに『赤城氏はしっかりと説明をしたと聞いている』と述べ、発覚後の対応にも問題はなかったとの考えを示した。

 首相公邸前で記者団の質問に答えた。」

記事によれば、事務所として実態のない実家を事務所とし、さらにその事務所経費がどうみても多すぎる。また記事のなかで指摘されているように、事務所の家賃など固定費的な経費であるはずの事務所費も年によって大きく変動するなど、費用の変動幅からも不自然である。
要は、実態のない事務所に関する経費の名目で、何か他の費用として使ったものを計上している可能性が濃厚である。それは、公にできないような種類の経費か何かであろう。政治資金の裏金操作かもしれない。
 
こんな姑息な手段を使い、自分の親族など身内のベールを使って実態を隠そうという人間が、同様に事務所経費を誤魔化した前大臣の後任として指名され、今回いけシャーシャーと弁明にあいつとめているのだから、皆閣僚は何かスネに傷を持っているのではと疑いたくもなる。

年金問題でも安倍首相ら、自民党幹部連中は、国民に対して嘘を並べ立て、未だに社保庁で年金掛け金を職員が着服するなどの不正行為が多数存在するにも関わらず、明らかにされていないし、口先だけの照合期限だけで、年金支給漏れの不一致件数が今どのくらいあって、来月はいくらに減るのか、年内にはいくらに減るのか、最終的になくなるのはいつかなど、具体的な数字は何一つまともに出ていない。公表されたのは、入力ミスの頻度の数字であったが、これも実際とはかけはなれたでっち上げの数字であった。

今回も、安倍首相は赤城農林水産大臣を罷免するとか、議員を辞職させる気はまったくないようである。
まあ、爺さんの代の農林大臣の孫はかばいたいのであろう。
当然ながら野党各党は反発し、首相の任命責任を問う声も強い。しかし、安倍首相はあくまで突っ張るつもりらしい。この人は若いのに、脳年齢はもう80歳以上なのであろう。柔軟に思考することができなくなっている。

もう自民党政権が続く限り、まともな政治は期待できそうにない。安部がやめ、麻生が次期首相になっても、たいして変わるまい。

野党もだらしがないのは事実だが、もう一回野党に政権をとらせてみて、政治をやらせた方がこのまま、カルト安倍をトップにいただく自民・公明の保守連合で行くより、まだマシである。

2007/10/08 12:10 | Comments(0) | TrackBack() | 反軍下士官森某
一字の師
「一字の師」と言う言葉がある。最近、この年になって、その言葉の意味が良くわかる出来事があった。

先日、市川の国分にある陸軍射撃場跡を探していたときのこと、大体の場所は知っていた小生、松戸街道を国府台病院のバス停でおり、松戸方面にしばらく進んで、じゅんさい池の看板を目印に台地を降りていった。やけに寺や墓場の多い場所を過ぎ、そのまま道沿いに東へ行けば良かったのだが、北の小道をあがっていくと式場病院の中に出てしまった。

はて、困ったと思って、出口を探すがなかなか出られない。うろうろ歩く小生を怪しみ、木で鼻をくくったような口調で注意する職員の人に「もっと親切な物言いもあるもんだ、こんな病院死んでもかかってやるもんか」とちょっと腹をたてながらも、何とか出口は教えてもらい、また北側の松戸街道に近い低地に出た小生、上がったり下りたりして少しく疲れ、このままでは日が暮れてしまうと焦っていた。

誰かに聞きたいが、「陸軍の射撃場跡はどこですか」と聞いても、若い人や新住民は知るまい。中には意地悪く、「お宅さん、どこの人? そんな場所はありませんよ」などと言う人間もいる。通行人をみても、知っていそうな人ではない。
仕方がないので、また山勘で歩くかと思った矢先、紺色のブレザーを着た老紳士が通りかかった。この人ならと思い、聞いてみると、案の定、旧陸軍の実弾射撃場跡の場所を知っていた。今のじゅんさい池の東側台地地一帯が東練兵場であり、射撃場はじゅんさい池に近い、その台地端にあった、今は住宅地になっていて遺構は残っていない、当時の射撃演習では銃弾を南東から北西方向に撃ったとのことである。老紳士は親切にも、その台地がよく見える地点まで案内してくれた。そして、物静かな口調で説明してくれた。その人は旧陸軍病院や野砲兵連隊のことも知っていたが、そちらのほうは小生も何度か行って知っている。

しかし、大げさに言えば「地獄に仏」のような気がした。本当にありがたいと感じ、「ありがとうございました。助かりました」と老紳士にお礼を言った。中国の故事で「一字の師」というのがあるが、まさにこのことだと思った。

2007/10/08 12:08 | Comments(0) | TrackBack() | 反軍下士官森某
ほとほと呆れた赤城農相の卑劣な弁明

この赤城徳彦農林水産大臣、ほとほと呆れ果てた御仁のようだ。例の事務所経費問題に加えて、今度は政治活動費を二重計上した不正まで行っていた。しかも、その二重計上も領収書の小さくとったコピーを添付するなど、単なる事務処理ミスではなく、作為的におこなった可能性大である。

赤城徳彦農林水産大臣といえば、なくなった祖父赤城宗徳(農林大臣や防衛庁長官を務めた戦前からの保守政治家)の跡を継ぐような格好で政治家になった人物。安部政権でおきた数々の不祥事で、既に閣僚で辞任が2人(佐田行革担当大臣、久間防衛大臣)、自殺が1人(松岡農林水産大臣)となっており、自殺した松岡農林水産大臣にかわって就任した、赤城徳彦農林水産大臣にもいろいろな疑惑がもたれている訳だ。

結局、安部政権とは疑惑のデパート政権、疑惑の総合商社政権であり、重要なポストを国民とは関係ない論功行賞で決め、永田町の論理を貫いているから、不正を働く大臣が続出するのだ。

佐田行革担当大臣の件は、自らの政治資金団体が政治資金規正法で定められた適切な会計処理をしていなかった問題である。松岡農林水産大臣については、「なんとか還元水」が記憶に残っているが、事務所経費問題とやはり「緑資源機構」の大汚職が自殺の原因とされる。この松岡前大臣の疑惑は、かなり以前に遡るのだが、本人が自殺してしまい、全容解明が難しくなっている。そして、原爆投下を「しょうがない」といった久間防衛大臣。死んだ人には酷かもしれんが、3人の大臣ともろくなもんじゃない。

もっとろくでもないのが、この赤城徳彦という大臣。だらしないうえに、卑怯である。

2007年7月28日のスポニチ annex newsによれば、
「後援会事務所費問題などで批判されている赤城徳彦農相(衆院茨城1区)に、今度は関係2団体が政治活動費約20万円を二重計上していた不正事実があったことが27日、分かった。赤城事務所は『事務処理のミス』として一方の団体の収支報告書を訂正した。この日午後、北京から帰国した赤城農相は、体調不良を理由に無言のまま搭乗機に横付けされた公用車に乗り込み病院へ。夜になって陳謝したが、安倍政権にはあす投開票の参院選を前に新たな痛手となりそうだ。

 異様な光景だった。午後1時ごろ、成田空港に到着した赤城農相は、上着を脱いでネクタイを緩め、うつろな表情。ボーディングブリッジからサテライトを通らずに、搭乗機下の地上に降りた。待ち構えた記者団の質問には一切答えず、振り向きもしない。足早に公用車に乗り込み、空港から去った。

 農水省は『体調不良で都内の病院に向かった』と説明したが、赤城農相は午後8時すぎ、東京都港区の議員宿舎で取材に応じ『事務処理上のミスがあった。率直におわび申し上げたい』と陳謝。自らの体調について『北京では頭痛、腹痛、目まいがした。(診察を受け)疲れがたまったんだろう』と説明した。」

もはや低次元な言い訳でしかない。それにひきかえ、爺さんの赤城宗徳は保守政治家でもまだエラかった。爺さんも、さぞや地下で泣いていることであろう。

もっと、問題なのは、こんな私利私欲で不正を働く、しかも国費を掠め取る、文字通りの「税金泥棒」を安部首相が許し、解任していないこと。また、自民党もこんな人物は除名にすべきであろう。
現に一部の自民党議員からは赤城辞めろコールが出ている。

国民に背を向ける自民党・安部政権よ。今こそ、国民の審判を受けよ。

軍艦旗を焼いて不戦を誓った小生も、旧海軍軍人・反軍下士官として、最後まで戦うぞ。

(注)反軍下士官とは小生の造語であり、海軍のなかで反戦活動をした「聳ゆるマスト」の阪口喜一郎・木村荘重グループはわれわれより年長で、かつ小生の知るところではありませんでした。また戦後のいわゆる反戦自衛官とも、小生は関係ありません。何度も繰り返しますが、小生は防衛庁・海上自衛隊に在籍したことは一度もありません。

(写真は「聳ゆるマスト」の反戦水兵の活動拠点となった軍艦榛名)


2007/10/08 12:07 | Comments(0) | TrackBack() | 反軍下士官森某
米下院本会議慰安婦決議について
米下院本会議で、例の日本の国会議員らの馬鹿どもの意見広告が「きいた」せいか、実にすんなり慰安婦決議が通った。

元々こんなことは、他国に言われずとも、日本の中できっちり始末しておけばよかったのである。日本政府は、怠慢にも、それを責任の所在をあいまいにし、ずっと放置してきたのである。いまだに超A級戦犯である天皇の戦争責任すら明らかにできない日本政府とその与党自民党、さらにその裏側に戦前から連綿として続く反動勢力一流の無責任体質は、断固として糾弾されねばならない。例えば、インパール作戦で全滅の危機に直面して独断撤退した佐藤幸徳中将(三十一師団長)は、「大本営・総軍(南方軍)・方面軍・第十五軍という馬鹿の四乗がインパールの悲劇を招来したのである」と軍上層部を批判した。しかし、杉山元帥も寺内元帥も誰もインパールの責任をとらず、多くの将兵が飢えとマラリアに苦しんで苦闘を続け、アラカン山系の山奥で死んでいった。
そして、彼ら軍上層部、反動勢力に騙され、侵略戦争に動員されてきたわれわれは、それら勢力を徹底的に粉砕せねばならない。それが、われわれの"historical responsibility"というものである。

米下院本会議 慰安婦決議の日本語訳全文は、以下のとおりである。

***
以下、日本語訳全文。
「日本政府は1930年代から第2次世界大戦期間に、『慰安婦』と呼ばれる若い女性を日本軍に性的サービスを提供する目的で動員することを公式に委任した。日本政府による強制の軍隊売春制度『慰安婦』は、集団の性的暴行や強制流産、辱め、身体の切断や死亡、究極的に自殺を招いた性的暴行など、残虐性と規模で前例のない20世紀最大規模の人身売買のひとつだ。

 日本の学校で使われている新しい教科書は、慰安婦の悲劇や太平洋戦争中の日本の戦争犯罪を縮小しようとしている。

 日本の公共・民間の関係者は、慰安婦の苦しみに対する政府の真剣な謝罪を盛り込んだ1993年の河野洋平官房長官の慰安婦関連談話を希釈したり撤回しようとする意図を示している。

 日本政府は、1921年に女性と児童の人身売買を禁止する条約に署名し、2000年には武力紛争が女性に及ぼす影響に関する国連安全保障理事会決議1325号も支持している。

 下院は、人間の安全と人権、民主的価値、法律の統治や安保理決議1325号への支持など、日本の努力を称賛する。

 日米同盟はアジア太平洋地域での米国の安保利益の礎で、地域安定と繁栄の根本だ。

 冷戦以降、戦略的な環境の変化にかかわらず、日米同盟はアジア太平洋地域で政治・経済的な自由と人権、民主的制度に対する支持、両国国民と国際社会の繁栄確保などを含む共同の核心利益と価値に基盤を置いている。

 下院は、日本の官僚や民間人の努力で1995年に民間レベルのアジア女性基金が設立されたことを称賛する。アジア女性基金には570万ドルが集まり、日本人の贖罪を慰安婦らに伝えた後、2007年3月31日付で活動を終了した。以下は米下院の共同意見。

1.日本政府は1930年代から第2次世界大戦終戦に至るまでアジア諸国と太平洋諸島を植民地化したり戦時占領する過程で、日本軍が強制的に若い女性を『慰安婦』と呼ばれる性の奴隷にした事実を、明確な態度で公式に認めて謝罪し、歴史的な責任を負わなければならない。

2.日本の首相が公式声明を通じ謝罪すれば、これまで発表した声明の真実性と水準に対し繰り返されている疑惑を解消するのに役立つだろう。

3.日本政府は、日本軍が慰安婦を性の奴隷として人身売買を行った事実は決してないとする主張に対して、明確に、公開的に反論しなければならない。

4.日本政府は、国際社会が提示した慰安婦に関する勧告に従い、現世代と未来世代を対象に残酷な犯罪について教育を行わなければならない。」

思えば、慰安婦問題は、軍当局によって証拠隠滅されており、インドネシアで起きたオランダ人女性の強制連行および慰安婦化事案、いわゆるスマラン事件以外については事実関係がよくわからないものが多い。スマラン事件を起こした南方軍第十六軍幹部候補生隊の馬鹿者どもは、死刑になったものも含め、処罰されたのだが、それ以外の事件については犯罪として処罰されていない。
それどころか、慰安婦を強制連行した軍人・軍属、慰安婦の施設を作った軍人・軍属(主に軍の主計科)、さらに夥しい数の非戦闘員に対する虐待、性的暴行を働いた軍人・軍属については、軍当局が目こぼしして軍法会議にもかけられず、戦後のドサクサにまぎれて逃げおおせ、多くは刑に服することなく死んでしまっている。

かかる反人民的な、というより人間の皮をかぶった悪魔のような輩は、時効となって法律で裁けなくとも、人民法廷に引き釣りだして、処断すべきである。そして、それは自国民の手で行わねばならない。

<写真はチモール島で降伏する日本軍将兵>

2007/10/08 12:06 | Comments(0) | TrackBack() | 反軍下士官森某

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